2012年5月28日月曜日

復帰して一ヶ月

会社から徒歩20分にある新しいラーメン屋がうめぇ

 元の所属先に戻り、部署は変わったけど一ヶ月が経過。仕事も徐々に増えてきたり、週末はどちらかが夜勤だったりと、いい感じでリズムがつかめてきた。といってもミスってばかりだから、早くミスを無くして、先読みでガシガシ仕事をやって時間を作ることで自分のやりたいことをできる状態にしたい。


 社会人になって4年目。残業時間とそれに伴う残業代によって同期の誰よりも高収入。4年半も続いている彼女とは結婚の話もしている。ところが貯金はゼロ。税金の支払いに関する書類を見てたら自分が年間いくらもらってたか判明した際に、もうビックリしたね!貯金はないけど、朝まで本能のままに楽しく遊べる方法は覚えた。無駄遣いしてなけりゃ結婚式代はバシーンと現金一括払いができたのに。まぁ人生こんなもんか。

 部署も変わって残業が減る、つまりは残業代が今までより減る、しかもこれまでの高収入に伴う所得税がドババババーンと降ってきて収入は更に減る!夢のように楽しかった日々は終わったとして、目が覚めたのでコツコツと貯金を始めようか。


 今日の情熱大陸は出向先ですごくお世話になった先輩が担当していた女子バレーボールの回だった。ロンドン五輪出場が前夜までに決まらず、もし予選敗退していたらどのような内容になっていたのだろうか。あまのじゃくな好奇心はあるものの、出場が決まってホッとした。

 というのも、情熱大陸のツイッターアカウントを読んでいてオンエア1時間をきっているのに仕上がっていない、ナレーションは生読みにするか、などなど放送ギリギリでの編集作業の模様を知りこっちまでバクバクした。そりゃ偉大な大先輩なので放送するものが無い事態はないだろうけど、放送直前までの"追い込み"での編集を経験したことがある身なのでソワソワしてた。

 そして竹下選手の日本バレーボール界が置かれている"恵まれた"環境へのコメントに震えた。かっこいいよなー。いつもと同じ放送時間内で木村選手を合わせた2人を紹介する至難の編集だったので、きっと放送しなかったシーンもたくさんあったんだろうなー。そういう現場の話を聞きにいこう、現場の声を知らないで仕事はしたくないから。

Jリーグにまた新しいストーリーが!

 J1・ヴィッセル神戸の新監督に就任した西野監督の初采配となる公式戦を観戦してきた。スタジアムの外ではラテン系のメシ屋が出店していてブラジル料理のシュラスコを食べた。ビールが必要だったけど、夜勤だったため断念。

 10年間ガンバ大阪を率いて様々な大会で優勝して、日本人監督ではトップクラスの実績を持つ西野監督。なかなか上位進出できない神戸を10年前のガンバのように浮上させることができるのか?すぐに結果は出ないかもしれないけど、時間をかけて神戸が日本屈指の強豪になるのか楽しみだ。そんなJリーグに生まれた新しいストーリーの舞台が神戸、つまり今の生活圏内という激アツな事態。

 まぁその半面、監督をコロコロ変えてきた実績のある神戸フロントが、西野監督ですぐに結果が出なくてもどこまで我慢できるか。そう、西野監督を招へいしたからってチームが強くなるだなんて保証はないからね。サッカー批評の永田さんが行った西野監督インタビューで西野監督の人間性がすごくわかりやすくて、かつ読み応えあっておもしろかった。


 さ、トゥーロン見るぞー!

2012年5月14日月曜日

ジオシティーズからブロガーへ

特に記事とは関係ない写真です

化石化している個人ホームページの中身を少しずつですが、ブログに移行しはじめた。いつか読み返す時にアーカイブが読みやすいブログ形式の方が良いし、自分の過去を隠さずにフルオープンにしてみようかと思った。理由は特になし!しかも凄くヒマな人が奇跡的に過去ログを読み始めて、思わず「いいね!」だなんて押してくれてネット上で広まったらおもしろいじゃん?

個人サイトが衰退してるけど、1999年からやってきてるからその中身を放っておくのはもったいないので、時代に乗った環境に持ってきてみようかと。うん、異動して自分の時間が増えたからこそできることなんだけどさ。

とりあえず自分のネット生活を振り返ってみる。

ネットを覚えた中学時代

1999年、父親の仕事でヨルダンに住んでいた中学時代。日中は学校いって、放課後は友達と遊び、帰宅して晩飯を食べた後は宿題をせずにプレステかセガサターンばかりやっていた。何か新しいことをしたいと思っていたら、個人ホームページを作ってみようとパソコンに向かった。

日記や旅行記など当時の個人サイトでは定番のモノから、掲示板とかなんかいろいろやってみた。まだ誰もがPCメールなんてしているほど普及してなくて、当時おれが海外在住だったり、帰国してからも誰かしらが海外にいたこともあって「今こんなことしてるよ」と確認し合うのに快適な場所だった。なんてったって親が知らない、もしくは知っていてみ見ていなかった(ハズ)なので、おれにとっては最高に楽しい遊び場、隠れ場、溜まり場だったと思う。

更新頻度と濃度がピークだった高校時代

ほんで高校生になり、個人HPを持っている人が周りにも数えるほどだけどいた。面識ある者同士で相互リンクとかしてみたり、面識がない人同士でもお互いのサイトを通じて話すようになることも。サッカー部のサイトも同時に作ったり、青春18きっぷで旅に出て帰ってきたら旅行記を作ったり、自分を発信しまくった。アクセス数も高校時代後半がピークだった。

日記はほぼ毎日更新していて、割と好き放題に書いていたので学内で隠れ読者がそこそこいたことを卒業シーズンに「実は読者です」と言われて知ることになる。ほんで先生の中にも読者はいて、それを知った理由は「酒を飲んでいる写真を掲載するのはさすがにマズイ」と指摘を受けた時だった。不特定多数の人に見てもらっているウキウキさと同時に、ネットの恐ろしさも少し知った高校時代だった。

SNSの大ブレイクに伴い個人サイトから離れた大学時代

大学生になるとミクシーやアメブロなどに手を出しはじめて更新ペースが落ちた。htmlコードを手打ちでやる個人サイトづくりよりも、ミクシーやアメブロの楽さはハンパなかった。だけど「個人サイト=持ち家」で「SNSやブログサービス=借り家」という認識があったので、個人サイトも同時進行で続けた。

それでも「日記→掲示板」と別ページにアクセスしなくても感想コメントを簡単に書きこむことができるミクシーはすさまじく便利で、大学でも流行りまくっていたので自然とミクシーがメインになってた。アメブロは気が向いたら書いている程度だけど、個人ブログを持っていることがちょっとしたステータスでもあったような。

社会人兼メガネ男子になった

そして社会人になってホームページも、ブログも、ミクシーも更新頻度がみるみるうちに落ちた。正確にいうと、パソコンに座って10分から、長い時には1時間ぐらいかけて文字を打つのがめんどくさくなった。そりゃ仕事で疲れ、自炊する気持ちにもならいので定食屋で晩飯を済ませて帰宅してから日記を書く気になるわけもないっしょ。

んでケータイから気軽かつ手軽に自分を発信できるツイッターとフェイスブックが大流行。もうね、こいつら便利過ぎ。個人サイト時代の日記みたいにガッツリと濃いものを書くことは減っても、フットワークは軽くなって参加者も鬼増えた。人づきあいも学生時代は自分と同年代だけだったのが、親世代もいるし、その人たちともフェイスブックとかで意見交換できるようになったわけだ、そりゃ楽しい。

これからネットで自分をどう展開しようか、てかするべきなのか?

1日に50件以上も更新しようすると「画面に表示された文字を入力してください」が登場するから、テンション的にもデータ移行する日は50日分の移行が目安になるかな?こりゃ過去のを全部持ってくるのは長丁場になるけど、まぁいいっしょ。とりあえず過去の日記を読んでみて懐かしくなるけど、本当に恥ずかしいことばかり。でも恥ずかしいことだからこそ公開しちゃうことに意義があると思う。